竹徳かまぼこについて

竹徳かまぼこについて

しんじょう

百二十年の味造り 創業八十有余年
新潟の美味しいかまぼこ

江戸時代から漁師を続け新潟の鮮魚を取り扱っていた先人達は、かまぼこ製造技術を身につけることで豊漁の時も漁が少ない時も、地場で水揚げされた魚を大切に扱う精神を培い、美味しい食を提供することで「まち」の活性化に寄与してまいりました。

また、多くの人々が行きかう湊町は北前船をはじめ様々な文化も取り入れながら発展してきました。そのような多くのお店が並ぶ下町で、技術を切磋琢磨しながら「かまぼこ」製造技術に磨きをかけて今日まで地域に支えられてきました。

これからも味に磨きをかけて、新潟の素材を活かした、出来立ての美味しいかまぼこをお届けいたします。

会社概要Company

会社名 竹徳かまぼこ株式会社
代表取締役 竹中 広樹
所在地 〒951-8066 新潟県新潟市中央区東堀前通11-1775
電話番号 025-222-0223
FAX番号 025-222-2562
設立年 1933年
資本金 1,000万円
従業員数 30名
主要取引銀行 北越銀行新潟支店、第四銀行住吉町支店
事業内容 水産練り製品製造卸、水産加工食品製造販売
取得特許 特許第726974号 リテーナ成形蒲鉾の製造法 昭和41年
特許第709567号 包装細工蒲鉾の製造法 昭和44年
受賞歴 昭和31年 農林大臣賞 「板付蒲鉾」
昭和36年 水産庁長官賞 「包装板付蒲鉾」
昭和38年 農林大臣賞 「焼蒲鉾」
昭和41年 名誉大賞 「包装板付蒲鉾」
昭和50年 栄誉大賞 「揚げしんじょう」
昭和51年 栄誉大賞 「リテーナ蒲鉾」
昭和53年 栄誉大賞 「越乃海」
昭和62年 新潟県知事賞 「包装細工蒲鉾」
平成16年 細工蒲鉾銀賞 「細工蒲鉾」
平成24年 東京都知事賞 「焼き蒲鉾」
...他受賞歴多数

製造基本方針

「もの造り」において大切なことは、安心、安全、正直であることはもちろん、一つ一つの商品に想いをこめて製品づくりに向き合うことだと考えています。地域の支え続けられてきたことを忘れずに、地域の美味しい食材をより多くの方々へ届け、知っていただくことが私たちの使命だと感じています。
私共が多くの製品を造っていると言っても、一つ一つの品それぞれが、お客様一人一人と相対することになることを忘れてはいけません。これからも、製品造りに愛情を持って、新潟の美味しい食材を活かした「かまぼこ」を造り続けてまいります。

店舗一覧Shop List

竹徳かまぼこの歴史History

1849年当時の新潟
1849年当時の新潟

江戸時代から1884年頃まで新潟の魚町(さかなまち、現中央区本町通10~12番町付近)にて竹中酉蔵(鳥蔵・とりぞう)は漁師を営んでいました。

竹中酉蔵は、海で漁をしていた時に船の網にお地蔵さまが引っ掛かりました。水揚げされたお地蔵さまを無下にできず、安置したのが西堀にある瑞光寺でした。その後、亀が網にかかり白山神社さまに奉納したいわれなどが残されております。

1849年当時の新潟
当時の魚と金銭の取り扱いに
使われた帳面
(新潟県所蔵)
1849年当時の新潟
竹中鳥蔵の扱い帳
(新潟県所蔵)
1849年当時の新潟
旧新潟市魚町で鮮魚を
取り扱っていた鮮魚売買連署
(新潟県所蔵)
1849年当時の新潟
新潟魚市場の株主に
記載されていたもの
(新潟県所蔵)
1894年の新潟の街並みを表した地図
1894年の新潟の街並みを表した地図

1890年代頃、竹中酉蔵は本町11番町で竹中かまぼこ店を開業いたしました。もともと魚を扱う鮮魚店として商いをしていた竹中酉蔵は魚加工が盛んだった新潟の地の利を生かし、かまぼこ製造にも着手いたしました。

当時は魚を捌き(さばき)水さらしを行い、2階建ての建物の2階の床に丸い穴をあけて、そこに長さ3メートルほどの摺りこぎ棒を差し、下の石臼で魚をすり潰していました。

摺りあがった魚の身に、塩とかす取り焼酎(今は少ない手造りの味醂のようなもの)と砂糖で味付けを行い、板に乗せて「板かまぼこ」、油で揚げて「あずま揚げ(さつま揚げ)」を製造して近隣の人々へ販売しておりました。新潟で「あずま揚げ」は「あずまげ」とも呼ばれ、西の鹿児島薩摩地方で作る「さつま揚げ」に対し、東の地で作るから「東(あずま)揚げ」、訛り(なまり)で「さつま揚げ」が「あずまげ」になってとも言われております。

拡大図
拡大図 本町十一番町に「かまぼこ竹中」の
記載があります
現在の竹中かまぼこ店
現在の竹中かまぼこ店
赤い煙突が昔からの象徴的建物でした
当時の原料魚を捌いている様子
当時の原料魚を捌いている様子

1930年頃、竹中かまぼこ店からのれん分けしたのが竹徳かまぼこの創業者、竹中徳四郎です。
当時は原料の魚を買い付けに市場に行くと、竹中かまぼこが二件あり、ややこしいため付けられた屋号が竹中徳四郎のあだ名の竹徳でした。
竹徳かまぼこは創業以来、地場で水揚げされた魚を使いかまぼこ作りに精進してまいりました。

昭和30年代頃までのかまぼこは傷みやすく地元消費が主で、あまり生産量も少なかったそうです。特に7月8月の禁漁月には魚の水揚げも少ないため、かまぼこ製造はしないで休業していたそうです。

当時の細工かまぼこの絵付けの様子
当時の細工かまぼこの絵付けの様子、
主に婚礼に使われていました
手付けで一本一本作る作業
手付けで一本一本作る作業が
早朝から夕方まで続きました
リテーナ成形かまぼこ
リテーナ成形かまぼこ

昭和40年代に入り、高度成長期を迎えた我が国は、食品の需要に対し高いレベルでの供給を求められるようになりました。
現状の手作り生産での生産量は限界を迎え、新たな製造方法への開発が急がれていました。

その事に悩んでいた創設者である竹中 徳四郎が寝ずに考えてできたのが円柱のビニールに板とすり身を入れ、金型(かながた)と言う型枠で形成するものが原案として考えられたのがリテーナ成形かまぼこです。

婚礼に使われている細工蒲鉾や焼き鯛、板かまぼこ
婚礼に使われている細工蒲鉾や焼き鯛、板かまぼこ

1980年~90年頃には欧米文化が根付き始め、結婚式や食事のスタイルに変化が起こり始めました。婚礼用板かまぼこの製造も減少しはじめ、当社も新たな商品開発の必要性を迫られました。三代目竹中政宏はこの頃を機に惣菜製造に着手いたしました。

特大な浜焼き機を導入し、婚礼用の焼き鯛やマグロの兜など様々な焼き魚を手掛け新製品を世に出してきました。

2000年頃には病院食や介護食、学校給食などにも焼き魚、煮魚を提供し、現代の魚離れに歯止めをかけるべく、多くの人に食べやすい魚料理の提供を行ってきています。

竹徳かまぼこ 本町店
竹徳かまぼこ 本町店

2000年を境に、業務向け製造卸と消費者へ直接販売の出来る店舗型経営も行うようになりました。

今までは限られたお店や料亭、旅館・ホテルでしか食べる事の出来なかった商品を、お客様にダイレクトに販売する店舗を構え、より地元の人に愛され続けながら、より良い商品作りを目指しております。

現在では新潟県内6店舗を構え、出来立ての商品を提供するとともに、全国の物産展などでも購入いただけるようになりました。

現在の工場内の様子
現在の工場内の様子

2004年から始めたインターネット販売も2012年に入り、店舗と同じ商品の品添え、店舗で購入するのと同じサービスをご提供できるよう改善いたしました。

今後とも益々、お客様と身近により良い新潟の美味しい食品をご提供できるよう従業員一同頑張ってまいります。

リテーナ成形かまぼこRetainer Kamaboko

板付け蒲鉾を特殊フィルムで包装した後、かまぼこ型リテーナ(金型)に入れて加熱殺菌する製造方法です。
簡易真空包装のため、二次汚染などの細菌汚染が少なく、保存料などを使用しなくてもよい、保存性にすぐれた製造方法です。

リテーナ成形かまぼこができるまで

リテーナ成形かまぼこができるまで

それまでの蒲鉾製造方は、地場で水揚げされた魚をさばき、水さらし、らいかい、手付けと言う工程でかまぼこを製造していました。

当時は現在のように便利な流通手段が少なく、クール便等もありませんでしたので、昭和30年頃までのかまぼこは傷みやすく地元消費が主で生産量も現在に比べ少なかったです。

蒲鉾が傷みやすく、長距離輸送に耐えられない事に悩んでいた創設者である竹中 徳四郎が、寝ずに考えてできたのが、円柱のビニールに板とすり身を入れ、かながたと言う型枠で形成するものが原案として出来たと言われています。

この原型にたどり着くまでに何年も考え試作しては失敗を繰り返し、現在のリテーナ成形かまぼこと言う、型枠の中で包装・成型・蒸気過熱殺菌をするものができました。

リテーナは加熱後の汚染が少なく品質が安定し保存性にすぐれていた為、その当時の流通でも十分に対応できたため、とくに山間部などや県外出荷が可能になり、商圏拡大に繋がりました。

リテーナ成形の特許について

リテーナ成形の特許について

*素人が申請したため何度も書き直した説明文書が現在も保管されています。最終的に昭和41年9月5日に出願し、昭和49年4月30日に特許第726974号包装板付蒲鉾 を所得いたしました。

*特許証での名称は「包装板付蒲ぼこ」です。

*山高のくずれを防止するために開発されたわけではありません。

*形が崩れにくい製法ですが、水や澱粉を多くいれて安い蒲鉾を作る技術ではありません。

*昭和49年には社団法人 発明協会から「発明奨励賞」をいただきました。

*昭和48年にも包装細工型蒲鉾の特許709567号も所得しています。

*リテーナの名前を付けるとき、自分の名前でもよかったが、恥ずかしかったのでリテーナにしました。

リテーナの研究は主に昭和30年代前半から始まり昭和30年代後半には特許申請をしていました。
特許申請をしたのが竹中 徳四郎の長男である竹中 繁で、実際の特許証に記載されている名も、発明者 竹中 繁になっています。

当初は特許を取得するつもりは無かったそうです。
ですがその当時の金型を造っている鉄工場の社長がリテーナのアイディアを他のかまぼこ屋に売ろうとしたため、このままでは同業者がその工場にお金を払ってかまぼこを、造らなくてはいけなくなると思い特許申請をいたしました。

所得後すぐに竹中 徳四郎の理念である「みんなが食べる食品だからこそ、みんなが造れなければならない」という言葉を受け、現在の全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会に特許を無償で寄贈いたしました。これにより全国の蒲鉾業者が特許料を払うことなく著作権フリーでリテーナ成形かまぼこを生産することが出来るようになりました。

タイミングよくスケトウダラの冷凍すり身が登場し原料入手が容易となったため、またたく間に全国へとリテーナ成形かまぼこは普及していきました。
リテーナ蒲鉾を製造する段階で急に過熱すると成型したすり身が膨張しすぎるため、それを防いだ製造方法が「すわり」技術です、㈱堀川(当時、堀川蒲鉾工業㈱)創設者である故堀川 兵三朗氏が同時期に発案されています。

現在では、保存料やペーハー調整剤などの添加物を入れなくても良い、保存性の高い技術のため、病院食・介護食・学校給食などに多く用いられています。

*素人が申請したため何度も書き直した説明文書が現在も保管されています。最終的に昭和41年9月5日に出願し、昭和49年4月30日に特許第726974号包装板付蒲鉾 を所得いたしました。

*特許証での名称は「包装板付蒲ぼこ」です。

*山高のくずれを防止するために開発されたわけではありません。

*形が崩れにくい製法ですが、水や澱粉を多くいれて安い蒲鉾を作る技術ではありません。

*昭和49年には社団法人 発明協会から「発明奨励賞」をいただきました。

*昭和48年にも包装細工型蒲鉾の特許709567号も所得しています。

*リテーナの名前を付けるとき、自分の名前でもよかったが、恥ずかしかったのでリテーナにしました。