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【新聞掲載】新潟日報 企業ヒストリー4話 商品開発 地場食材を重視

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時代とともに にいがた企業ヒストリー

湊町と歩む 竹徳かまぼこ

「しんじょう」が好評

商品開発 地場食材を重視

竹徳かまぼこ(新潟市中央区)はバブル崩壊後、主力の婚礼用品の需要が減退し、厳しい経営環境にあった。2000年に竹中政宏社長引当時が死去。妻の則子氏が継ぎ、立て直しに奔走したものの出口を見つけられずにいた。

長男の広樹氏は父の病を受けて関東での飲食店経営を退き、帰郷して専務に就いていた。ある日、昔の蒲鉾品評会の賞状を社内で見つけ、同社が過去に「揚げしんじよう」を作っていたことを知る。生産が長く途絶え、広樹氏にはなじみの薄い商品だったが、ここから光明が差す。

しんじようとは魚肉、山芋などを混ぜて蒸すなどしたもの。広樹氏は地元の料理店などに話を聞き、しんじようを油で揚げて食べるのは、新潟市中央区の古町周辺に伝わる全国的にも珍しい食文化だと知った。「ふわっとして口の中に風味が広がる。経験したことのないおいしさで、お客に広めたいと思った」。試作品の食感や味に驚かされる。

小規模で量産にも限界がある同社にとって、いかに付加価値を高められるかが勝負だった。差別化のために選んだ材料は、県産の甘エビ。量の確保やコストは課題だったが、広樹氏はエビの産地に関心を向ける顧客が多いのを会話から感じ取っていた。

一個ずつ手作業で成形する絞り巾着型を採用。手聞を惜しまず、工場で蒸したしんじょうを店頭で揚げることにした。

06年に「甘海老しんじよう」として発売した。1個300円を超え、安くはない。しかし、地産地消にこだわる社会の風潮も手伝って、甘海老しんじようはメディアなどで話題に。年間数十万個が売れる人気商品に育っていく。

商業施設や駅ビルへの積極的な出店も売り上げに貢献した04年に新潟ふるさと村(新潟市西区)、06~09年には新潟、長岡両駅やピアBandai(同市中央区)などに直営店を出した。広樹氏が百貨店に勤め、飲食店の出店にも関わった経験が生きた。

店舗を持つことで、客の反応を見て試行錯誤できるようになり、商品開発に弾みが付いた。年間数十もの新商品を投入。しんじようの「バナナ&チョコ」など個性が強すぎて定着しなかった商品も多かったが、半熟の味付け卵が丸ごと入った「煮玉子しんじょう」は一番の売れ筋に。県産素材を生かした揚げかまぼこの「枝豆天」や「もずく天」もロングセラーだ。

地域色と独自性のある商品群は、流通関係者からも一目置かれるようになる。「地域の特色を出すため力を貸してほしい」と請われ、12年に新潟伊勢丹に出店。さらに18年、同業大手などとの競争を勝ち抜き、東京の日本橋三越本店に常設店を構えるまでになった。

出店に関わった元バイヤーでコンサルタトの野口正幸氏=那覇市=は「竹徳かまぼこは地元の素材をしっかり使い、創作が上手。自社だけでなく新潟そのものを盛り上げていこうとする姿勢を感じた」と話す。

昨春以降の新型コロナウイルス禍で、竹徳かまぼこの売上げは一時、前年の1割に沈み、工場も休業を余儀なくされた。集客力の高い百貨店や観光施設で売り上げを伸ばしていただけに、打撃は大きかった。

それでもインターネット販売やスーパーへの納入で盛り返しを図り、商品開発にも余念がない。現在はトリュフを使った斬新な商品を検討中だ。地場食材を重視する同社には、農水産物の販路を求める県内の生産者から相談やサンプルが寄せられる。その生かし方を日々考えている。

母からバトンを受け、14年に5代目社長に就いた広樹氏は「『チーム新潟』として地産業の歯車の一つになれるといい。小回りが利く会社だからこそ、ほかのメーカーがやらないことをやりたい」と語る。画期的な製法でかまぼこ業界に新風を吹き込んだ小さな工場。そこには今も湊町らしい進取の気風が宿っている。

=おわり=

(この連載は報道部・貝瀬拓弥が担当しました)

2021年4月26日 新潟日報